تسجيل الدخولなんでこいつと結婚しちまったのかさっぱりわからない。
離婚届を叩きつけたあとも、花音はソファから動かなかった。スマホを握ったまま、上目遣いにこちらを見上げてくる。
直哉はその顔を見下ろした。
家事はすべて雑だ。食事もろくに作らずにスーパーの惣菜やデリバリーばかりだ。
お腹の子によくないんじゃないか、と助言しても「つわりのときは食べられるものだけ食べてたらいいんだって、お医者さんが言ってた」と言われた。
なぜあんな判断をしてしまったのか。澪の仕事が忙しいからと、花音に相談に乗ってもらったことが間違いの元だった。
あのとき、するっと膝に手を乗せられた。爪の先で、ゆっくりと円を描かれた。それだけだ。それだけで、内腿の奥がじわりと重くなった。
澪とあまり会えていなかったからだ。ずっと我慢していたのだ。だからつい、流されるように、花音を抱いた。
悪いのは、忙しくしていた澪のほうだった。
けれど、たった一回しかやっていないのに、それで妊娠したと母子
Onlyé for youにアレルギー物質が入っているというデマ。その発信元が花音だとわかった次の日、澪は会社の法務担当に相談した。「本件はダーマコードだけでなく、同社の商品を取り扱う我が社にも影響を及ぼしています。この炎上により、既存商品『Onlyé』の売り上げが急激に減少しています」 澪はデータを法務担当へと提示した。「確かに、朝倉さんのおっしゃるとおりです」 法務担当は眉根を寄せた。「それに、以前私に告発メールを送ってきた人物も、同一人物だとわかっています。そこで、今回の件と合わせて法的措置を取りたく、ご相談に伺いました」 法務担当は背もたれに体重を預けて、腕を組んだ。「……ダーマコード側への攻撃という見方もできますが」「はい。ですが、売り上げの減少による実損は、我が社に生じています。ダーマコード側からも、並行して法的措置を取ると連絡がありました」 仁から「俺の手で終わらせてもいいか」と聞かれたとき、澪は自分の手で終わらせると告げた。けれどその後、今回の件が会社の社会的信用を揺るがす事態になったため、ダーマコード側からも徹底的に戦うと連絡が入った。 つまり花音は、ダーマコードとグロウセオリーの二社を敵に回したことになる。 数字の並んだ資料を、法務担当は指の腹でなぞった。「わかりました。それでは手続きを進めていきましょう」 その言葉を聞き、澪は深く頭を下げた。「ありがとうございます。発信者情報開示請求と、誹謗中傷に関するログの証拠保全をよろしくお願いします」 澪がオフィスに戻ると、奈央が近寄ってきた。「澪ちゃん、もしかして面白いことやるの?」 奈央の目が、いたずらを思いついた子どものように光った。「面白い、かどうかわかりませんけど……。やる予定です」 澪が目に力を込めると、奈央はニヤリと笑った。「わかった。手伝うね。優先順位高めで
なんでこいつと結婚しちまったのかさっぱりわからない。 離婚届を叩きつけたあとも、花音はソファから動かなかった。スマホを握ったまま、上目遣いにこちらを見上げてくる。 直哉はその顔を見下ろした。 家事はすべて雑だ。食事もろくに作らずにスーパーの惣菜やデリバリーばかりだ。 お腹の子によくないんじゃないか、と助言しても「つわりのときは食べられるものだけ食べてたらいいんだって、お医者さんが言ってた」と言われた。 なぜあんな判断をしてしまったのか。澪の仕事が忙しいからと、花音に相談に乗ってもらったことが間違いの元だった。 あのとき、するっと膝に手を乗せられた。爪の先で、ゆっくりと円を描かれた。それだけだ。それだけで、内腿の奥がじわりと重くなった。 澪とあまり会えていなかったからだ。ずっと我慢していたのだ。だからつい、流されるように、花音を抱いた。 悪いのは、忙しくしていた澪のほうだった。 けれど、たった一回しかやっていないのに、それで妊娠したと母子手帳を突きつけられたときには血の気が引いた。ほかの男との子どもじゃないのかと疑いたくなったが、「あの日、危険日だったの」って言われたら口をつぐむしかなかった。 その後、澪と別れて花音と結婚したが、後悔の連続だった。 別れてから、澪はやけにきれいになった。もともときれいだったのだが、それは自分だけが知っていればいいことだった。それなのに、結婚式に現れたときには、参列者が目を見張るほどの美しさだったのだ。 そしてそのそばには、あの高宮とかいう社長が出しゃばっていた。あいつはまるで「澪は俺のものだ」と言わんばかりに、澪を抱き寄せてそばに置いていた。 ――本当は俺のものだったのに……! 怒りがわき起こり、どうしようもなくなった。自分の横に立っているのは、花音ではなく澪のはずだった。 妊娠したと言うから、仕方なく責任をとって結婚することにしただけだ。 結婚してから、楽しいと思えたことは一日もない。けれど、唯一の楽しみは、自分の子どもをこの手に抱くことだった。
澪の提案でOnlyé for youの成分解析を第三者機関に依頼してから一週間ほど経ったころ、仁から解析結果が届いたと連絡が入った。『ダーマコードに来てくれるか?』 仁から電話をもらってすぐに、ダーマコードへ向かった。 通された会議室にはすでにダーマコードの関係者が集まっていた。「朝倉さん。わざわざありがとうございます」「真壁さん。私ひとりで伺いましたが、よろしかったでしょうか」「朝倉さんだけで十分ですよ。ね、社長?」 なぜか真壁がニヤニヤしながら仁を見た。「そうですね……」 仁はつーんと澄ました顔をしているが、目元は真壁を睨みつけていた。 真壁は、やれやれと言わんばかりに両肩をすくめて、澪に書類を手渡した。「これが、今回出された解析結果です」 澪は書類を受け取り、素早く目を通した。 項目が並んでいる。検査した成分の一覧、検出限界値、試験方法。どの欄にも、同じ言葉が記されていた。 不検出。不検出。不検出。 アレルギーに関与する物質などは、なにも含まれていない。 それを確認すると、安堵の吐息を漏らした。「よかった……。そもそもアレルギー物質なんてあるはずないのに」「そうですよね。私たちもまったく同感です。でも、こうして解析結果が出たのですから、正々堂々と対応でき――」「それでは、この結果を公開しましょう」「え?」 真壁は口をぽかんと開けて澪を見ている。仁に顔を向けると眉根を寄せていた。「原材料にはなにが使われているのか、解析結果はどうだったのかを示すんです。もちろん、配合比率などの社外秘情報まで公開する必要はありません。ただ、『アレルギー物質は含まれていませんでした』と伝えるよりも、『原材料はこれで、解析結果はこうでした』と示したほうが、信頼性は高まります。どうでしょうか、高宮社長」 澪は仁に真剣な眼差しを向けた。
「澪、ごめん。今から会社に行かないといけなくなった」 仁は鞄を手に取り、出かける準備を始めた。「もしかして、Onlyé for youになにかあったの?」「ああ。SNSであらぬ噂が拡散されているらしい」 本格的な販売を前に、なぜそんなことになっているのだろうか。澪は、どのような噂が流れているのか気になった。「あたしも、一緒に行っていい?」「せっかくの誕生日なんだから、うちのごたごたに巻き込まれなくていい」 仁はまっすぐ澪の目を見つめた。澪も仁の目を見つめ返す。「Onlyé for youの企画はあたしが出したんだよ。あたしも参加する資格がある」 澪が目に力を込めて仁をじっと見つめると、仁は根負けしたように表情をゆるめた。「わかった。澪も俺たちに力を貸してくれ」「もちろん。さ、早く行こ」 澪は仁の背中を押して、玄関へと向かった。 ダーマコードに到着すると、すでに真壁の姿があった。「仁……と、朝倉さん?」 真壁は目を見開いて澪を見ていた。信じられないという顔をしている。「お疲れさまです」 澪は何食わぬ顔で会議室へと入った。「どうして、朝倉さんが……?」 真壁が恐る恐る尋ねた。澪がどう答えようかと視線をさまよわせていると、仁が声を上げた。「時間も遅いですから、始めましょうか」 仁が気を利かせてくれたのだろうか。澪の肩から、ふっと力が抜けた。 会議室には、呼び出されたらしい社員が次々と入ってきた。時計の針は十一時を回っており、どこかのデスクでは電話が鳴りっぱなしになっていた。「あ……」 そうだった。以前、真壁がグロウセオリーへ打ち合わせに来たときに落としたボールペンをバッグに入れていたんだった。「真壁さん、これ、違いますか?」
スマホを耳に隙間なく、強く押し当てる。 コール音が一度鳴った。二度目が鳴りきる前に、プツッとつながる音がした。『澪?』 仁の声が鼓膜を揺らした。それだけで体が震える。「仁? ごめんね、こんな時間に」『ああ、構わない。どうした?』 澪は唇を噛んだ。 どうしよう。こんなこと言ってもいいのだろうか。 でも、今日は誕生日だ。誕生日だから、きっと許されるはずだ。 少しの沈黙のあと、澪は口を開いた。「今、外にいるんだけど、雨が降ってきて……。迎えに来てくれる?」『ああ、わかった。どこにいるんだ?』 まさか、すぐに了承してもらえるとは思わなかった。お酒を飲んでいるかもしれないのに、それでも迎えに来てくれると言っている。胸の奥があたたかくなる。そんなことされたら、勘違いしそうだ。「じゃあ、地図の位置情報、送るね」 澪は地図アプリを開き、現在地を仁にメッセージで送った。 十五分後、仁は自分で運転してやってきた。「澪、待たせたな」 澪のそばにやってきた仁は、澪を見て顔をしかめた。「濡れてるじゃないか。なんで屋根のあるところにいなかったんだ」 仁はポケットからハンカチを取り出し、澪の頭を拭いた。「ごめん。タオル持ってきたらよかったな」「ううん。いいの」 ハンカチから、ふわりとウッディな香りが漂ってきた。いや、香りはハンカチからだけではない。体が触れ合いそうな距離にいる仁自身からも漂っている。 仁の香りだ。 その香りに包まれると、背筋が震えた。「とりあえず、車に乗ろう」 仁は澪の腕を引いて、車の助手席に乗せた。仁が運転席に座ると、澪はゆっくりと口を開いた。「今日ね、あたし、誕生日なの……」「……うん」 仁はハンドルを
有村の誘いを受けたはいいが、澪は気が進まなかった。あまりにも軽率なことをしてしまったのではないかと思う。 ほかに澪の誕生日をお祝いすると言ってくれる人はいない。有村と過ごす時間は楽しいものになるに違いない。 それなのに、澪の心は分厚い雨雲に覆い尽くされたように重かった。 ――せっかく誘ってくれたんだから、明日は楽しまないとね……。 仁からは、あの日、夕飯に誘われて以来、連絡がない。きっと澪のことよりも千華との時間を大切にしているからだろう。 もう、これ以上仁のことを考えるのはやめよう。 そう思っているのに、仁のことで頭がいっぱいだった。 次の日、午後五時から有村との打ち合わせが入っていた。有村から、「ちょっとした確認事項だけなので、一時間ほどお時間ください」と電話があり、打ち合わせをすることになった。 会議室でふたりきり。打ち合わせ開始と同時に有村が言った。「今日、この後はすぐに退社できますか?」「……あ。はい。なにも業務は入れてませんので」 有村と食事に行く約束をしていたから、元々定時で帰る予定にしていた。「よかった! じゃあ、この打ち合わせ終わったら、一緒に出ましょう。六時半にレストランを予約してるんですよ」 ぱあっと太陽のような笑顔を向けられ、澪は目を細めた。 有村の笑顔は、見ているだけで心があたたかくなる。きっと有村という人物が明るいからだろう。 もしかしたら有村は、澪と会社から予約したレストランまで一緒に行きたくて、この打ち合わせを入れたのかもしれない。 そう考えると、胸の奥が、くすぐったくなった。 直哉と付き合っていたころは、待ち合わせはいつも現地集合か、最寄りの駅前だった。 実際、打ち合わせはたいしたことなかった。前回までの確認事項の説明だけだった。 そんなこと、わざわざ顔を突き合わせて行わなくとも、メールで済ませることだってできる。それなのに、グ







